宮沢賢治の愛した小岩井農場(萩谷由喜子)2014/06/20 09:22


 
小岩井のバター、チーズ、アイスクリーム、といえば、その名をきいただけで、ほっぺたが落ちそうですね……。美味しい酪農製品の代名詞といってよい「小岩井」というのは、盛岡市の北西約12キロ、岩手山の南東山麓に広がる面積3,000ヘクタールの日本最大の民間総合農場、小岩井農場のこと。そしてこの「小岩井」という農場名は、明治241891)年にこの農場ができたとき、3人の創業者、小野さん、岩崎さん、井上さんの苗字から1字ずつとって名づけられた造語?だったんです。

当初は苦労の連続でしたが、大正101921)年625日、盛岡・雫石間をつなぐ日本国有鉄道橋場線が開通し、農場の南6キロに小岩井駅が開業したことにより、肥料、飼料、農機具等の大量輸送が一気に可能となり、農作物の出荷の便もそれまでとは比べ物にならないほど向上しました。

 

駅が開設された翌年、大正111922)年の521日のことです。

まだ駅舎も新しいこの小岩井駅に、ひとりの青年教師が降り立ちました。稗貫郡立稗貫農学校の教諭として代数、化学、英語、農業、土壌などを講じていた25歳の宮澤賢治です。彼はすでに何度も小岩井農場を訪れたことがあってここの雄大な自然を愛し、個々で実践されている近代的大農法に大きな関心を寄せていました。

この日、賢治には目的がありました。それは、小岩井農場を一日がかりで踏破しながら、その折々の実景と心象風景を、画家がスケッチブックに描きとるのと同じように、言葉を紡いでスケッチしていくことでした。賢治は小岩井駅から一路、小岩井農場をめざし、歩行のテンポのままに、実際に目にしたもの、それによって心に映じたものを口語詩の形に整えて、携行の手帳にどんどん書きつけていきました。たとえば、小岩井駅で自分が下車したようすはこんなふうに書かれています。

 

 

わたくしはずゐぶんすばやく汽車からおりた 

そのために雲がぎらつとひかつたくらゐだ

 

 

 賢治の、はずむ気持ち、早く農場へ行きたいと心をせかすようすが伝わってきますね。

このようにしてできあがった口語詩は『小岩井農場』と名づけられて、大正1319244月に自費出版した口語詩集、といっても賢治はそれを「詩集」とは名づけることなく「心象スケッチ」という彼独自のジャンル名をこの作品集に与えていますが、その心象スケッチ『春と修羅』に収載されました。

 この心象スケッチ『春と修羅』こそ、賢治の最初にして、生涯2作のみ世に出た作品集のうちの1作で、そこには序と69編の口語詩が収載されています。『小岩井農場』はそのうちの最長編であるばかりではなく、賢治の全詩作品のなかでも最長作です。なにしろ、全詩句は591行もあるのですから。

591行もある詩って、驚きですね。日本語で書かれた口語詩のなかでも最長作でしょう。

 

 今年521日と22日、わたくしは昨年出版した著書『宮澤賢治の聴いたクラシック』の編集長の横山さんと、陰の編集長の辰野さん、装丁画を描いてくださった田原さんとともに小岩井農場をこの足で歩き、賢治の足跡をたどってきました。


賢治の降り立った当時のままの小岩井駅の駅舎、賢治が「本部の気取った建物」と描写した本部棟も往時のままで、よく耕されて黒々として耕地、緑美しい牧草地など、賢治が目にしたに違いない光景を満喫してきました。


 歩き疲れたら、小岩井のソフトクリームでほっと一息。

 賢治を思いきり偲ぶことのできた、胸躍る小岩井の旅でした。

 そうそう、盛岡育ちのピアニスト、小山実稚恵さんもこの農場がお気に入り。

小学生のときの遠足もこの小岩井農場だったそうです。

賢治ファンの方も、小山さんファンの方も、アイスクリーム大好きな方も、自然の中でのーーんびりしたい方も、一度、小岩井農場へいらしてみませんか。